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【追悼】夢のような、ウットリするような、素敵なショーの数々で大勢の人々を魅了してきたドラァグクイーン、オナン・スペルマーメイドさん

2023年09月02日

 9月1日深夜、(ブルボンヌさんの投稿で知った方も多いと思いますが)ドラァグクイーンのオナン・スペルマーメイドさんの訃報がX(Twitter)でシェアされ、一時はトレンド入りとなり、「待って。トレンドにオナンさんって出ててまさかと思ったけど、本当にあのオナンさんだった…」「信じられない」「オナンちゃん大好きだったのに…」といったコメントが続々と上がり、その後もたくさんの方がオナンさんの思い出の写真をアップしたり、心からの追悼コメントを寄せたりしています。

【追記】
「Juicy!」のジャンジさんによると、オナンさんは、7月にすい臓癌のステージ4と診断されてから闘病を続けていましたが、仲の良いご家族に見守られて、安らかに旅立ったそうです。家族葬となりますので、ご遺族のご意向により、お花やお供えなどもご辞退されるとのことです。なお、葬儀の前の時間に少しだけお別れの機会を企画していたものの、会場側の都合により中止となったそうです。最後にお別れをしたかった…という方も多いことでしょうが、どうぞ、みなさん一人ひとりの心の中で、オナンさんをお見送りください。
 
 オナンさんは90年代前半からドラァグクイーンを始めた方で(先日MXで放送された「なんて美だ!」でHossyさんが第一世代、バビ江さんが第三世代とおっしゃっていたので、オナンさんは第二世代でしょうか)、二丁目はもちろん、いろんな街の、本当に様々なたくさんのイベントに出演してきました。映画祭の公式パーティや東京レインボープライドでMCを務めたり、cali≠gariのライブに出演したり、ミュージカル『プリシラ』にも出演を果たし、「Drag Queen Story Hour TOKYO」にも参加するなど、縦横無尽で多彩な活躍を見せました。
  
 オナンさんのショーほど「夢のような」「素敵な」「ウットリするような」という言葉がふさわしいショーはありませんでした。まるで良質な舞台を観ているかのような。ロマンチックな短編映画のような。ドラマチックな人生絵巻のような。一篇の詩のような。心の奥底に大切にしまっているものを引き出してくれるような…。そんなオナンさんに魅了され、大好きになった方がどれだけたくさん、いらしたことか。楽屋やフロアでは本当に明るく、気さくで、おしゃべり好きで、新人クイーンにもお客さんにも気を遣うような、素晴らしい方でした。

 日本のドラァグクイーンカルチャーは世界に誇れる素晴らしいものですが、オナンさんはそのいちばん先頭で、ドラァグというものの魅力や豊かさや可能性を実に美しく、鮮やかに切り開いていってくれた方だと思います。

 以下、このような(仮にも情報サイトと名乗っている)サイトの記事としては、度が過ぎているかもしれませんが、オナンさんへの個人的な思い、追悼の気持ちを、長文ではありますが、掲載させていただきます。











 私がオナンちゃんのショーを初めて観たのは、1996年、二丁目のDelightで開催された「CAMP '96」だったと思います。ゴージャスで美しいというだけでなく、段ボールを使って絵を描いて小道具というか舞台装置のように使っていて、なんて独創的でアーティスティックな、素敵なショーなんだろう…とウットリしながら観ていました。
 その後も、二丁目のDelight(のちにAce)やGAMOS(のちにQube)、Arty Farty、Blue Oyster Loungeでのパーティ、歌舞伎町のCODEでのイベント、高円寺「ShowBoat」でのシモーヌ深雪さんとのライブ、デパートメントH、ワタリウム美術館でのイベント、パレード関連のイベント、映画祭、HIV予防啓発イベント…とにかくたくさんあって全部は思い出せないのですが、本当にいろんなところでたくさんショーを見ましたし、時にはステージでご一緒させていただいたり、私のイベントに出演していただいたりもしました。
 
 オナンちゃんのショーほど「夢のような」という言葉がふさわしいショーはありませんでした。ウットリするような、素敵な、まるで良質な舞台を観ているかのような。ドラマチックな人生絵巻のような。一篇の詩のような。心の奥底に大切にしまっているものを引き出してくれるような。かけがえのない時間でした。
 
 オナンちゃんがやってきたショーは優に100を超えると思いますが、ストリップショーもやれば、原始人にもなれば、扇風機をステージに置いて(マリリン・モンローのように)スカートを翻したり、野菜や食べ物を使ったり(たぶん初めて「Never」という歌詞に合わせて納豆をこねた方です)、マペットとデュエットしたりもして、その幅の広さ、多彩さは群を抜いていた気がします。段ボールや画用紙などの画材もよく使っていて、その芸術的センスを遺憾なく発揮していらっしゃいました。書き出すとキリがないくらい、発想の豊かさや類まれな独創性、天才的なひらめきや大胆さを、次々にショーとしてステージ上に繰り広げていました。そして、そのショーにはいつも、オナンちゃんの教養やセンス、人生を愛し、人間を愛する気持ちが表れていましたし、すべてが「贈り物」でした。唯一無二の方だったと思います。
 
 私が最も好きだったのは、「塔の上の王女」のショーです。オナンちゃんが手作りの本を持って物語を読み聞かせていきます。塔の上に幽閉されたお姫様に一目会いたいと願う王子が、塔の窓から投げ出された黒い毛につかまってよじ登ると、そこには長く長く伸びたマン毛に埋もれたお姫様が…。もちろん王子様は驚きますが、王女の心に惹かれた王子様は、マン毛の海にダイブするのです。ショーはそれで終わりではなく、オナンちゃんは椅子から立ち上がってリップシンクをはじめ(曲はシャーリー・ジョーンズの「If I Loved You」)、最後にスカートをめくると、パンティからはみ出した長い長いマン毛と、それにつかまってよじ登っているかわいい王子様の絵が現れるのです。なんて素敵なんでしょう! 大好きでした。
 2006年にパレードのファンドレイジングとして「ドラァグクイーン・ディナーショー」というイベントをCoCoLo cafeでやらせていただいたのですが、その際、オナンちゃんにお願いして、このマン毛姫のショーをやっていただきました。
 
 二丁目の「Ace」で2000年代に「○×○×○×(のちにsex)」というセーファーセックスをテーマとしたドラァグクイーン多数出演のパーティが開催されていたのですが、オナンちゃんはそこでも自由に、素晴らしいショーの数々を披露していました。ジャージをはいて、金のネックレスをつけたヤンキーっぽい男がテレビを観ながらチンコをボリボリ掻いてるようなショーとか(笑)。マドンナの「Ray of Light」を流しながら自作の詩を読む(朗読中は曲のボリュームが下げられ、一節読み終わるとボリュームが急に上がり、ガンガン踊る)ショーもカッコよかったです。
 
 2015年の女装紅白で橋幸夫の「潮来笠」という変化球をぶっこんできました。
 2019年に高円寺でディタ・スターマインさんとやってた「オナンとディタのSUMMER PARTY」っていうストーリー仕立てのショーイベントが本当に面白くて、素晴らしかったです。演劇的な才能はピカイチですよね。
 中野の「g LUV.」でやってた「オナンズ・ピロートーク」におじゃましたこともありました。
 最近のブイアベースさんとの前衛的なコミックショーも、新境地開拓という趣でした。
 
 ひとたびステージを下りれば、オナンちゃんほど気さくでおしゃべり好きな方もそうそういなかったと思います。楽屋ではいつも明るく、ムードメーカーになっていました。誰かの悪口を言ったり不快にさせるような発言は一つもなく、新人のクイーンさんにも気を遣うような方でした。私はドラァグクイーンをやめて「男装」のパフォーマーになり、最近は性別に関係ないクィア・パフォーマーを名乗ったりと、みんなの不評を買うようなことをしているのですが、オナンちゃんは何も言わず、常にいい友達として接してくれました。みんなオナンちゃんのことが大好きだったはずです。
 
 そんなオナンちゃんと最後にお会いしたのは、今年の6月半ばでした。仙台のAnegoさんが企画した「花と緑のフェスティバル」内の「華杜Avenue」というドラァグクイーンのパフォーマンス&撮影会でご一緒させていただきました。イベントの直前に「2ヵ月以上ずっと謎の腹痛に悩まされていて、検査に次ぐ検査で、先日やっと原因の一端が見えたものの、それでも更に病理研究で時間がかかるそうで、まさかここまで長引くとは思っていなかった、来週半ばに外来受診の際、ドクターが言った通りであれば結果が全部見えてやっと治療に向かえそうな状況です」というメールをいただいていて、心配だったのですが、当日もしんどそうで、ショー以外の時間はずっと座っている状態で…。そんななかでもショーは気丈に、プロフェッショナルに徹して立派にやっていました。会場は杜の都・仙台の定禅寺通りのケヤキ並木の緑地帯で、新緑の木漏れ日の下、大勢の市民のみなさんがオナンちゃんのショーをウットリしながら見ている様子は本当に素敵で…あの光景は一生忘れないと思います。ステージのすぐ後ろを車が通るような場所だったのですが、オナンちゃんが(たぶん)ジュリー・アンドリュースの「エーデルワイス」のリップシンクをしていると木に、ちょうどステージの真後ろに市バスが停まり(乗客の方たちも驚いたことでしょう)、オナンちゃんが機転をきかせてバスに向かって手を振りながらリップシンクし、ちょうど曲が終わる頃にバスが離れて行って…という奇跡のようなシンクロが起こりました。ドリス・デイの「It's magic」で、マジックを取り出し、画用紙に自身の顔を描き、最後にキスマークをつけてその絵を完成させるという、素敵なショーも披露しました。会場のみなさんが本当にあたたかくて、オナンちゃんも楽しんでいたようで、帰りがけ「またこのメンバーでどっかでやりたいね」と言ってくれました。今ではもうそれは叶わない夢となってしまいましたが…(でも、あの仙台のイベントでご一緒できて、本当によかったと思います)
 東京に帰ってから、オナンちゃんに、本当におつかれさまでした、くれぐれもお大事にね、とメールしたら、「今後もヤマイとどう付き合うか、課題が大きいけど、皆んな親切で嬉しかった。心からありがとう」「久しぶりじゅんちゃんと一緒の現場でしたが、変わらずずっと自分の好きを表現してて、このまま生き抜きましょう(キラキラマーク)と思ったよ。だから元気になりまーす」と、逆にこちらのことを気遣ってくれるような、優しいお返事をいただきました。
 7月に入って、その後体調はいかがですか? 大事ないといいんだけど…とメールしたのですが、お返事がなく。もしかしたら、検査結果が思わしくなかったのか、それか、すでに闘病生活に入っていたのかもしれません…。私にできることがあれば、してあげたかった…。でも気い遣いのオナンちゃんだから、きっと遠慮しちゃったんだろうな…と思います。
 
 訃報を聞いて、「巨星堕つ」といいますか、この世界の大切な宝物のひとつが失われてしまったような、心にぽっかり穴が開いてしまったような、たとえようのない悲しみにおそわれ…今も立ち直れない気持ちでいます。
 もっともっと、千も万も、オナンちゃんのショーを見たかったですし、もっともっとお話したり、遊んだりしたかったです。
 生まれてきてくれてありがとう。ドラァグクイーンになってくれてありがとう。素晴らしい時間の数々をありがとう。
 オナンちゃんがくれたもの、ずっと大切にしていきます。
 
(文:Junchan)

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