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レポート:《+PEOPLE 2023+》HIV感染症がつなぐ人々~今に生きる40年の歴史とこれから

12月3日、龍谷大学響都ホールで開催された《+PEOPLE 2023+》の模様をレポートします。関西のHIVコミュニティやアート、クラブ、ゲイコミュニティの方たちが協働して作り上げた素晴らしいイベントでした。

レポート:《+PEOPLE 2023+》HIV感染症がつなぐ人々~今に生きる40年の歴史とこれから

はじめに

 初めに、今回の《+PEOPLE 2023+》というイベントへとつながるような、関西のドラァグクイーン、アート、HIV、ゲイコミュニティの歴史について(私が把握している限りですが)お伝えしたいと思います。

 5年前に森美術館で行なわれたトークセッション「ダイアモンドは永遠に――日本におけるドラァグクイーン・パーティーの起源」でも語られていたように、古橋悌二さん(ミス・グローリアス)は山中透さん(DJ LaLa)、シモーヌ深雪さん、上海ラブシアターと共に1989年に「DIAMONDS ARE FOREVER」という日本初のドラァグクイーン・パーティを立ち上げました。古橋さんは「ダムタイプ」という1984年に京都市立芸術大学の学生を中心に結成されたアーティストグループの創設メンバーでもあり、ビデオ・アートやコンテンポラリー・ダンスを組み合わせた「マルチメディア・アート・パフォーマンス・グループ」として海外公演も多数行なっていて、本場ニューヨークのクラブシーン、ドラァグカルチャーにも精通していたのです。そんな古橋悌二さんは1992年、周囲の人たちに手紙を書き、自身がHIVに感染していることを公表しました。周りの友人たちは、HIV/エイズのことや、エイズ禍と闘う「ACT UP」などの活動や「VISUAL AIDS」などアート活動について学びながら、古橋さんとともに、「アートスケープ」やクラブ「メトロ」を拠点にして、APP(エイズ・ポスター・プロジェクト)の活動を立ち上げたり、日本初のドラァグクイーン・ムービー『ダイヤモンド・アワー』を製作したり、様々な素晴らしいものを生み出していきました。1994年の横浜での国際エイズ会議でも、会場・パシフィコ横浜の広場でVISUAL AIDSの「ELECTRIC BLANKET」というHIV/エイズに関する映像を音楽と一緒に上映するイベントを(DJやドラァグクイーンも入れて)開催しするなどしました。そして古橋さんは、ダムタイプで『S/N』という不朽の名作を、また、『LOVERS―永遠の恋人たち』というビデオインスタレーション作品を遺しましたが、(カクテル療法の登場に間に合わず)1995年10月、公演先のサンパウロで敗血症のため、亡くなりました。
 その後も、APPが主催するクラブパーティ「CLUB LUV+」は2000年まで「メトロ」で開催されていましたし、「DIAMONDS ARE FOREVER」は現在も継続されています(1999年にはシモーヌ深雪さんが「DIVA JAPAN」という全国のクイーンが大集結するイベントをバナナホールで開催しています)。APPやバイターズで活動していたアーティストのハスラー・アキラさんはその後、東京に行き、コミュニティセンターaktaや「Rainbow Ring」を設立し、「Living Together」という画期的な手法を生み出したり、「Living Together Lounge」や「○x○x○x」「sex」などのイベントも開催し、2000年代の二丁目で中心的に活躍しています。
 また、1998年、APPでも活動していた鬼塚哲郎さんらを中心としてMASH大阪が立ち上がり(京都では榎本てる子さんが「バザール・カフェ」を作ってHIV陽性者などの支援を始め)、のちにコミュニティセンターdistaも設立され、2000年からはHIV検査とコミュニティイベントがセットになった「switch」が、2003年からは「PluS+」という大規模なフェス的なイベントが開催されるようになりました(ちなみに「switch」や「PluS+」の運営に携わっていたARATAさんは1999年にレインボーマーチ札幌で初の本格的なDJフロートを出走させたり、MASH大阪のHIROYUKIさんは2001年の東京のパレードで、全国のクイーンが大集結して開催された「GLORY」のスタッフとして活躍していました)
 こうした関西のドラァグクイーンやゲイクラブ、HIV/エイズにまつわる活動の源流に古橋悌二さん(ミス・グローリアス)がいました。残念ながらもうこの世にはいませんが、その思いは多くの人たちに伝播し、僕らの周りのさまざまなところに息づいています。
 
 私もまた、古橋悌二さんに大きな影響を受けた人の一人です。1996年、(古橋さんは映像での出演となっていた)『S/N』を観て、雷に打たれたような衝撃を受け、打ち上げのクラブパーティでシモーヌ深雪さんやブブさん、OKガールズのショーを観て、自分もドラァグをやりたい!と再び雷に打たれたような衝撃を受け、その瞬間から、人生が180度変わったのでした。『S/N』と出会わなければ今の自分はありませんでした。しかし、そんな『S/N』は、二度と再演されないのはもちろん、DVD化もされず、記録映像が上映される機会もめったにありませんでした。それが今回、京都で、しかも出演していたブブ・ド・ラ・マドレーヌさんのトークとともに上映されると知り、こんな貴重な機会は二度とないかもしれない、これを逃すと一生後悔するのではないかと、居ても立っても居られない気持ちにさせられ、取材に行くことを決めました。

 
《+PEOPLE 2023+》レポート
 
 今回の日本エイズ学会の市民向け公式プログラムである《+PEOPLE 2023+》は、「エイズ短編映像集《Everyone I Know Is Sick》の上映や、ダムタイプ《S/N》記録映像上映+トーク、HIV/エイズの40年の歴史やそこに生きた人たちと出会うことで、HIVについて知り・考え・つながることを目指して」開催されたイベントです。(会場で知ったのですが、「DIAMONDS ARE FOREVER」に出演するドラァグクイーンでもある緒方江美さんがマネージメントを務めていらっしゃいました)

 12月3日(日)15時、「AVANTI」9階の龍谷大学響都ホールに向かいました。ホワイエには、HIV/エイズとの40年を振り返る年表が掲示され(ありそうでなかった企画。素晴らしかったです)、亡くなった人を偲ぶメモリアルキルトや、いろんな団体が出展するブース、インタビュー映像などが展示されていました。
 15時10分頃、会場の一角で、ドキュメンタリー「93歳のゲイ~厳しい時代を生き抜いて~」の長谷忠さんが女装して自作の歌を歌うライブが始まりました。「絶対に同性愛者と言われへん」時代を孤独に生きてきた長谷さん。歌詞は「生まれついてのオカマだよ〜びっくりくりくり。ねえ、私きれいでしょ?」とかそういう感じなのですが、その人生に思いを馳せると、涙を禁じえませんでした。このライブを企画した、西成で行なわれている「ロカボ食べながらHIVを知る会」の方がご挨拶していましたが、ご自身もクィア(トランス男性でゲイ)で、ケアワーカーとして西成のLGBTQやHIV陽性者を支援しているそうで、頭が下がる思いでした。拍手を送りたいです。






 
 15時半からエイズ短編映像集「Everyone I Know Is Sick」の上映が始まりました。上映に先立ち、ノーマルスクリーンの祥さんから、VISUAL AIDSについて、今回の上映作品についての説明がありました。NYのアート団体「Visual AIDS」はレッドリボンをデザインしたことでも有名ですが、1989年、エイズ危機へのリアクションとして、喪に服したり何か行動をするようアート界に呼びかける「Day With(out) Art」というイベントを始めました。今でもこの取組みは続けられていて、毎年テーマを決めて募集をかけ、世界中から応募してきたアーティストの中から何組かに製作を依頼し、というかたちで、世界エイズデーの時期に新たな映像作品群の上映が行なわれているのです。
 今回はまず、併映として、昨年の「Day With(out) Art」で上映された、韓国のゲイの監督による作品と、台湾でHIVと共に生きる女性の作品が上映されました。台湾って同性婚も認められてあんなにLGBTQが生きやすい人権先進国なのに、HIV陽性者に対する偏見やフォビア、スティグマはまだまだ深刻だということに驚きを禁じえませんでした。
 それから、今年の「Day With(out) Art」の5作品が上映されました。こちらのテーマが「Everyone I Know Is Sick(私が知ってる人たちはみんな病気です)」で、HIVに限らず、COVID-19、メンタルヘルス、加齢など様々な体験を見つめる短編映像作品になっていました。最初の「ヴィエヒート/エンフェルミート/グリート(老人/病人/叫び)」は、サンフランシスコで長年HIVと共に生きている男性の映像で、彼自身のルーツであるメキシコの「老人の舞」という民族舞踊がとても印象的でした。「心雑音」「僕の整えたベッド」というアジア作品は、HIVと共に生きる男性が語るもので、親近感やセクシーさも感じられる作品になっていました。「光を失う」はエイズによって視力を失ったアーティストが、自身の身体をスキャナーにかけたりする作品を制作したりする姿を映し出していました。「あの子はAID$」は、母子感染でHIVを持って生まれたブラジルの活動家・アーティストの物語で、鮮烈なイメージを伝えてくれました。切なさを覚えました。
 HIV/エイズの問題はまだ終わってないし、影響を受けてるのはゲイだけじゃないし、地域や世代やジェンダーによってずいぶん風景が違ったりもするということをあらためて感じさせてくれてました。このような意義あるVISUAL AIDS「Day With(out) Art」を、日本語字幕をつけながら日本で上映する活動をずっと続けてきたノーマルスクリーンの祥さんに、あらためて敬意を表します。
(なお、先月、ノーマルスクリーンが京都で行なった「QUEER VISIONS 2023」も素晴らしかったとの評判を聞きました)
 
 1時間の休憩を挟んで、ダムタイプ《S/N》記録映像上映とトークが行われました。
 最初にトークが行なわれ、ブブ・ド・ラ・マドレーヌさんがモデレーターをつとめ、コミュニティ・カウンセラーのあかたちかこさん(アートスケープという共同事務所の管理や「CLUB LUV+」のスタッフをしていた方。また、ホワイエで上映されていた『「エイズ」をHIVにしたひとびと』というインタビュー映像の製作者でもあります)、京都市立芸大教員の佐藤知久さんが登壇し、鼎談のような感じで進められました。
 古橋悌二さんが手紙でHIV感染のことを周りに伝えたことをきっかけに、ダムタイプのメンバーや周囲の人たちがHIV/エイズについて考え、APPなど様々な活動を始め(鬼塚哲郎さんや、榎本てる子さん、長谷川博史さんのお名前も出てきました)、セックスワーカーや医療者や学生やいろんな人に話を聞いたりしながら、いろんな社会問題を暴くような作品として、できることを全てやろうという感じで作られていったのが《S/N》という作品だった、市民運動とアートの境目がなくなり、自分たちが普段しゃべっていたことがそのまま作品になっている、といったお話が展開されました。ブブさんは《S/N》の上映の際に呼ばれて説明をしたり、質問に答えたりということを30年もやってきたのですが、初めはエイズかわいそう、差別してたことを反省、という反応が多かった、そのあと、女性がDVなどのことを語ったり、男性がしんどさを語ったりということが多かった、最近は「どういうふうに作ったんですか?」という、何かしたいという切羽詰まったリアクションがあって、その変化をうれしく思う、と語っていたことや、また、あかたさんが、《S/N》は確かに特別な作品だけど、神格化され過ぎている、「次、何作りますか?」という話ではないのか、とも語っていたのがとても印象的でした。
 そのような1時間にわたるトークの後に、さらに少し休憩が入り、《S/N》の上映が始まりました。考えてみると、あのような大スクリーンで、とてもいい音響で(山中さんなど関係者の方のおかげだと思います)《S/N》の映像を観るのは初めてで、映像・音楽・ハイテクパフォーマンスを存分に堪能できてよかったです。《S/N》がどれだけ素晴らしい作品かというのはこちらに思いの丈を綴った通りなのですが、今回は特にアレックスさんというろう者のゲイの方のパフォーマンスに胸打たれるものがあった一方、悌二さんがミス・グローリアスになる、そのメイクの手順が自分とは全く逆だということを興味深く感じたり、あかたさんが事務所でダムタイプのメンバーがそう言っていたと教えてくれた「ダム走り」に注目したり(真似しようと思ってもなかなかできないだろうな、すごい体力使いそう、と思ったり)、秘密だという「壁の裏側」のことを想像したりという、脱「神格化」的な見方も楽しみました。考えてみれば《S/N》で“noise”として表現されていることの中には限りなく身近で人間的な、私自身や周囲の人たちの経験と地続きな事柄がたくさん入っているわけですし、スゴいパフォーマンスを繰り広げている方たちも、今となっては身近な存在だったりもするので、ある意味、作品自体を「楽しむ」余裕ができたのだと思います。

 ともあれ、ダムタイプの拠点である京都の街で、ブブさんのトークショー付きで、京都のコミュニティのみなさんと一緒に《S/N》を観ることができて、感無量でした。
 ブースや展示、長谷さんのライブなども素晴らしかったです。関西でHIVに関連する活動をしているコミュニティの方たちが結集し、このようなイベントを実現してくださったことに拍手を送りたい気持ちです。「はじめに」で書き忘れましたが、2005年に神戸で開催された「アジア太平洋地域エイズ国際会議(ICAAP)」のときも、それこそたくさんのドラァグクイーンが出演するクラブパーティや『ダイヤモンド・アワー』の上映があったりして、会議自体も鬼塚さんがボランティア部門の統括をしていたり、関西のHIVコミュニティの方たちが総力を挙げて成功させていたと思います。今回のイベントはその続きというか、同じ流れの上にあるように感じました。
 HIVのこと、LGBTQのこと、障がいや心の病のこと、人種や民族による差別のこと、いろんな社会的マイノリティの生きづらさや差別の根っこにあるものと、(祥さんもあえて語っていましたが)ジェノサイドや戦争、ファシズムの根っこにあるものはつながっていると思いますが、今回結集した(自身もマイノリティであったりする)関西のコミュニティの方たちの日々の活動やアート表現は、生きづらさを抱える様々な人たちの生(や性)を讃え、寄り添い、手を差し伸べ、温かく包摂しながら、同時に社会の欺瞞や暴力を暴き、批判し、闘っていくようなものだと感じましたし、そのようなことの象徴としても《S/N》という作品が輝いているのだと感じました。

 参加できてよかったという喜びや満足感、万感の思いや感慨を胸に、帰路につくことができました。

(取材・文:後藤純一)

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