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【追悼】様々な既成観念を覆した映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』でゲイのような役柄を演じたジェーン・バーキン

2023年07月17日

 7月16日(現地時間)、ジェーン・バーキンがパリの自宅で亡くなったことがわかりました。76歳でした。

 ジェーン・バーキンといえば、1990年代「渋谷系」カルチャーのアイコンであり、伝説的なカリスマであり、エルメスのバッグにその名がつけられたことでも有名です。2001年に大英帝国勲章を受章しています。
 出演した映画『ナック』『欲望』が2年連続でカンヌのパルムドールを受賞し、その後、恋人のセルジュ・ゲンズブールとのデュエット『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』が大ヒットしつつ、各国で放送禁止に。同名の映画と合わせ、センセーショナルかつ反逆的なカップルとして崇拝されるようになりました。その中性的な(やせっぽちの男の子のような)ルックスやファッションもあいまって、ゲイアイコン的存在ともなりました。
 
 歴史的な“問題作”であり、様々な既成観念を覆した映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』について、ここで詳しくお伝えしてみます。1969年に発表されるや、性行為を思わせる官能的な内容で物議を醸し(ローマ法王が激怒し、各国で放送禁止になり)つつも大ヒットを記録した楽曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」。この歌をモチーフにゲンズブールが自らメガホンをとって製作した同名の映画も物議を醸し、一部で酷評されつつも、センセーションを巻き起こしました。この映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』のなかでジェーン・バーキンは、「ゲイも惹かれるくらいボーイッシュな」女性として登場し、全裸やアナルセックスのシーンにも挑戦し、世界に衝撃を与えました。
 クラスキーとパドヴァンは、ゴミをトラックで運びながら町から町へと移動し、人生に目的を持つわけでもなく、成りゆきにまかせてその日暮らしをしている。ある日、ガソリンスタンドに寄った二人は、そこのスナックで奇妙な女に出会った。初めは男の子かと思ったくらいやせたショートカットの無愛想な女ジョニーだ。彼女はケチな主人に反抗しながらも、いつもハンバーガーを焼いている。クラスキーは、そんなジョニーに興味を持ち、この町にしばらく留まることに決めた。夜のパーティで二人はダンスし、感情が高まるのをお互いに感じる。しかし、その気になったジョニーを置いて、クラスキーは去ってしまった。彼はパドヴァンとつきあっていたのだ。それを知ったジョニーは、ショックを受けながら、クラスキーに愛されようと必死で努力する……。というストーリーです。
 LGBTQ的な視点で観ると、ゲイに対する誤った見方や偏見、ステレオタイプも散見され(1975年ですからね…)、そういうところが気になる、許せないという方もいらっしゃるでしょうし、また、女性に対してこんなひどい扱いを!と憤る方もいらっしゃるでしょうが、クラスキーとパドヴァンが堂々と、ゲイであることを隠さず、ホモフォーブ(同性愛嫌悪者)に立ち向かう姿、すなわちPRIDEを描いたところは素晴らしいです。ゲイが美しく、逞しく、カッコいい男として描かれていたこと(クラスキーを演じたジョー・ダレッサンドロは、ウォーホルに見出された俳優で、20世紀アメリカのアンダーグラウンド映画では最も有名な男性セックスシンボルであり、ゲイのセックス・シンボルであり、70年代ニューヨークのアート・シーンにおける性革命のスター的存在でした。自身もバイセクシュアルでした)、逆に、異性愛者たちがあからさまに醜く、下品で、卑怯で、取るに足らない存在として描かれていたところは当時としては革命的でした。ジェーン・バーキンという世界をトリコにした女性が、この映画では無残に貶められ、辱められ、惨めに、ゴミのような扱いを受けるのも、既成観念を逆さまにしようとする試みだったと思います。
 ショートヘアで、骨張って丸みがない体で、胸も薄く、化粧もしていないジョニーは、まるで男の子のような体です。一方のクラスキーは、ロン毛で、マッチョではあるものの、肉がつきすぎてはいない肉体です。二人が湖に出かけて裸で(お尻まるだしで)大きなタイヤにうつぶせに乗ってプカプカ浮かぶシーンがあるのですが、どっちが男でどっちが女かということがわからなくなるというか、どちらでもよいというか、性差なんてないに等しい、ただ人間は美しいということだけが真実、と感じさせるものがありました。ジェーン・バーキンはまるで、短髪マッチョ野郎系ゲイに気に入られたくてジムで鍛えたり服装もガラリと変えて男臭く仕上げ、苦手なケツも特訓したり、という涙ぐましい努力をしているクィアなゲイのようでした。
 いかに監督のゲンズブールと事実婚関係にあったとしても、このような「汚れ」役を28歳の女性が引き受けるというのは本当にスゴいことですし、そのような役を演じながら、時代の寵児としてセンセーションを巻き起こしたこともスゴいです。唯一無二の、クィア映画史における特異点のような存在でした。
 
 
 そんなジェーン・バーキンは2011年4月6日、急遽、東日本大震災復興支援のために来日し、無料のチャリティ・コンサートを開きました。東京日仏学院で開かれた記者会見で「私は日本に15回は来ていて、みなさんからたくさんのことを与えてもらいました。だから今回、こうして来日してコンサートを開くのは最低限の恩返しだと思っています」と語りました。コンサートの前、パルコPART1の店頭に立って自ら募金を呼びかけ、一人一人と丁寧に握手をし、その都度「メルシー」と感謝していたそうです(詳細はこちら

 真の勇者とは、世間の偏見を物ともせず、自身のイメージに傷がつくことなど1ミリも気にせず、自身の身に危険が及ぶことも顧みず、虐げられている人や困っている人のために表現し、行動する人だということを、ジェーン・バーキンは身を以て教えてくれたと思います。本当に素晴らしい方でした。R.I.P.

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