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盛岡市の加藤市議が引退を表明しました

2023年08月10日

 2018年に24歳の若さで盛岡で初のレインボーマーチを主催し、見事に成功させ、翌2019年には盛岡市議選に出馬し、25歳の最年少で当選、しかも2位で当選したオープンリー・レズビアンの加藤麻衣さんが、今月13日投開票の市議選に出馬せず、市議を引退することを表明しました。

 
 2018年、東北ではまだ青森でしかパレードが行なわれていなかった頃、加藤麻衣さんは24歳の若さでいわてレインボーマーチを主催しました。早い時期から準備を進め、デザイン性の高いロゴやフライヤー、インスタ活用などでさわやかな印象を与え、自身の友人だったりするアライの方たちもたくさん呼び込み、初回にして160名もの方々が参加し、大成功を収めました。
 パレードが市内の繁華街に差しかかったとき、加藤さんは、参加できないものの思いを寄せてくれた方のメッセージを読み上げました。「あと2、3年で、35歳になったら、自殺しようと思っていました。この街でレズビアンとして生きていくということは考えられなかったからです。しかし、岩手大学のLGBTサークルの集まりに参加するようになって、自殺を踏みとどまることができるようになりました」。嗚咽で胸を詰まらせながら、読んでいました。
 クロージングイベントで加藤さんは、お母さんにカミングアウトした時のエピソードを語ってくれました。大学1年の時に、お母さんに言おうと思って、でも、なかなか言えなくて、とても切羽詰まった表情だったので、お母さんは「人殺しでもしたかと思った」と言ったそうです。そのうえで「麻衣が幸せならそれでいい」と言ってくれました。しかし、数日経つと、気が変わり、「病院に行け」などと言うように…。基礎知識的な本を読んでもらい、教育し、だんだんお母さんも理解してくれるようになりました。今ではLGBTQ関連のニュースがあると、こんなことがあったね、と話してくれたりするそうです。「人は変わることができます。根気よく対話を続けること。絶望せず。多様性ある社会にはコミュニケーションがとても大事だと思います。日本的な阿吽の呼吸ではなく。それが誤解を招くもとかもしれない。大変だけど、あきらめずに話していきましょう」
 
 そのような自身の経験や、周囲の当事者の方たちの思い、そして当時まだ東北でどこも同性パートナーシップ証明制度が実現していなかったということなど、LGBTQの生きづらさを解消するためにやるべきことが山積みだったこともあり、加藤さんは翌年8月の盛岡市議選に出馬しました。若者や女性、様々なマイノリティの声を代弁しますと訴え、たくさんの友人たちの支援も得て、最年少の25歳で4425票を獲得し、2位で初当選しました。
 加藤市議は、東北の他の街の市議と「東北アライ議員ネットワーク」を結成したり、市議会で熱心に制度導入を求めてきましたが、そうした活動が実り、2022年9月、盛岡市がついに「パートナーシップ・ファミリーシップ制度」の導入を決めました。地元テレビ局にコメントを求められた加藤市議は、胸を詰まらせながら「県内外問わずお力添えをいただいたみなさまに対し、深い感謝の気持ちでいっぱいになりました…(数十秒の沈黙…「頑張れ!」のエールが飛び交いました)この場を借りてみなさまに御礼申し上げます」と語りました。
 今年のいわてレインボーマーチで市のシンボル・開運橋がレインボーカラーにライトアップされましたが、そちらも加藤市議が市議会で質問したことがきっかけで実現したんだそうです。

 そんな加藤市議が8月6日、今月13日投開票の市議選に出馬しないことを、公式サイトで表明しました。妊娠・出産にチャレンジするため、だそうです。
「市議としての4年も含めたこの10年間、たくさんの方々に応援・協力していただき、そのおかげで壁を突破し続けることができました。
私一人の力では到底不可能でした。
お力添えをいただき、本当に本当に、有難うございました。
今後も「生き甲斐のある世界を創る」という、私が死ぬまでに一番やりたいことの完了を意図して生きていきます。
引き続き変わらぬご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」

 
 保守的な東北・岩手の地で、生きづらさを抱えた方が多いなか、仲間のためにも勇気を持ってカミングアウトし、パレードを立ち上げ、市議にもなり、ついに制度を実現したというストーリーは、全国の地方の当事者や、若い方たちを勇気づけたと思います。加藤さんのこれまでの活躍、尽力に、心からの拍手を贈りたいです。
 

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