浜崎あゆみが本を出した。

思うことがあるので

それについて記そうと思う。


2000年春わたしは高校を卒業した。

大きな川の辺りの、ある高校だった。


浜崎あゆみが大好きだった。

彼女は時代のアイコンだったし。

ティーンエイジャーが着る洋服屋の

チープなアイテムを身につけていて

それを好んでいることを公言していた。



そう、強烈なビジュアルのセカンドアルバム

LOVEppearsのリリース。

シングルカットのappearsと対になるこのタイトルは、

上半身裸で金髪。そしてもう片方も

上半身裸で黒髪。肌を黒く塗り、

当時流行していた、black musicのビジュアル要素が入っていた。

強烈なインパクトがあった。


よく覚えている、このアルバムの

シングルカットのひとつkanariyaのビジュアルは

足から顔までライトストーンで埋め尽くされていた。


浜崎あゆみはいつも

ズレていて、それが時代の一歩先をいっていて格好良かった。


気の強い同級生の女子たちが夢中になって、歌ったり、

姿を真似たりしていた。

そのちょっとのズレは

ティーンの女子たちが抱える、

フラストレーションと合致していた

とわたしは思う。

ギャルの見た目も

ダンスナンバーも

喉を絞る歌い方もステイタスだった。


dubにわたしが夢中になり、

浜崎あゆみのディスクを中古屋であさるころ、

浜崎あゆみの一歩先をいくズレはなくなったような気がした。


相変わらず彼女はメディアの真ん中にいたけ。

ハイブランドのコレクションライン着たりしていた。


いろいろな罵声をオンライン上でよく目にする頃、

小室哲哉と一枚のアルバムをリリースした。


小室ミュージック世代のわたしは大喜びをして手に取った。

でも、そこにもズレを感じなかった。


あの昔のあっと驚くような、

毒、ズレ、時代錯誤で、でも心の中を抉るような。

そしてなおかつ、そこを抱擁して、許してくれるような。


中年には中年の孤独が存在すると思う。

不条理も、虚しさや、やるせなさ。


彼女にはスターダムに上がった。

ショービジネスでやっていく気迫も感じる。


ファンと一緒に年を取ってほしい、

老いて魅力的になってほしい。

あの時のような心を抉り、抱擁する作品に

出会いたい。


ヒット曲をビジュアルを

わたしはまだ待っていたい。