大阪・西成の93歳詩人が語る 私生児の過去、同性愛、老い

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土井恵里奈
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 僕はなぜ、たった一人で生きてきたのか。なぜ89歳で引っ越したのか。家族も故郷も捨てて生きてきた長谷忠さん(93)が人生の最後にたどり着いたのは、大阪・釜ケ崎だった。ゲイとして、私生児として。「死に場所」で見つけた、人生の宿題とは。

 長谷忠(はせ・ただし) 1929年香川県生まれ。私生児として生まれ、同性愛の当事者として生きる。長谷康雄のペンネームで詩作に打ち込み、1963年、第4回現代詩手帖賞を受賞。老後の死に場所を探していた80代、西成が拠点の紙芝居劇「むすび」と出会い、引っ越す。一人で暮らし、週1度仲間と会う。

  生まれたのはややこしい家やった。事情ありやねん。

 香川の村で、母は父のお妾(めかけ)。父の名字名乗らせてもらえんかってん。僕は1回しか父に会った記憶がなくて、顔もよう知らん。村の地主で医者やったことは知ってる。

 母はマージャン屋や喫茶店やってた。結婚してない若い人が顔を合わせて縁ができるような店やな。僕は家ではお嫁さんごっこ。母の着物引っ張り出して。まあ、普通の家ではなかったわけや。

私生児として

 中学(旧制)には行けんかった。

 成績は良くて小学校では級長やってんけどな。昔は、私生児いうだけでけったいやと別扱いや。

 先生に言われてん。

 「お前は試験受けてもはねられるだけやで」

 実際、そうやねん。だから学歴は高等小学校まで。

 その後は、14歳でひとり満州に働きに出た。当時は戦争中。3年おって、敗戦後に帰ってきた。

 戦後は大阪に働きに出たけど、学歴の壁があって。高等教育受けてないから、ええとこでは働かれへん。

 正面きって「おかま」と言われへん時代でもあったしな。ばれたらええように言われへん。避けられる。

 友人はこしらえんかった。(生い立ちや男性が好きだということを隠そうとすると本当のことを話せず)大体うそになってまうから。

 恋人もおらんかった。ひそかに好きになっては、遠慮して、抑える。

 セックスもしたことない。

 その代わりが、詩を書くこと。節をつけて歌にもしたよ。

 僕にとっては、詩や歌を作ることはセックスをすませることと同じような意味があってん。生きる柱みたいなもんやな。

「おかまでええやん」

 東大阪で郵便配達の仕事とかして、合間にいっぱい詩を書いた。

 退職後もそう。おかまに関する詩を三つ、曲もつけて歌にしてん。

 「おかまは男になれへんし おかまは女になれへんし おかまはおかまでええやないか」「からだいっぱいぶっつけて 世間の壁に体当たり」ってね。

 ただ、80歳過ぎると、新しいものが書けなくなって。

 そろそろ人生しまいやなと思うようになった。

 西成の「むすび」と会(お)うたんはそんなころ。住んでた東大阪で、紙芝居の公演があってん。

 (西成から来た)じいさんらが4、5人で朗読するんやけど、楽しそうで。

 「僕も入れますか」って聞いた。

今も、自分の体の衰えや性を題材に詩作をする長谷さん。西成に移り住んで気づいたことを語ります。

 そしたら「ええよ~」て…

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